ろくログ

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髄膜炎・脳炎・脳幹て?家族の事例と、奇跡と、わたしには奇跡が起きないいつもの人間ドック。

前回の記事で、兄が4月中旬に髄膜炎にかかり入院、その後脳炎を発症して今も入院中という内容を書きました。

 

髄膜炎脳炎も、わたしたちにとってはそれまでまったく身近でなく、青天の霹靂でした。

 

 

改めて髄膜炎脳炎についてネットで検索してみると、検索結果の一番上に出てきた記事には下記のようにまとめられていました。

 

髄膜炎

髄膜炎とは、脳や脊髄の表面を覆う“髄膜”と呼ばれる3層の膜に細菌ウイルスカビなどの病原体の感染、がん自己免疫疾患(免疫の異常による病気)によって髄膜に炎症が生じる病気のことです。

髄膜と脳・脊髄の間には“髄液”と呼ばれる液体が循環するように流れています。通常、髄液は非常に清潔な状態で保たれていますが、外傷や病気などによって髄液中に病原体や炎症を引き起こすがん細胞などが入り込むことによって発症するとされています。

発症すると発熱頭痛吐き気・嘔吐などの症状を引き起こしますが、重症化すると意識消失けいれんなどの神経症状を引き起こすことも少なくありません。特に細菌が原因の髄膜炎は急激に悪化して命に関わるケースもあるため、早期発見・早期治療が重要と考えられています。一方で、髄膜炎は乳幼児や高齢者では典型的な症状が現れないケースもあり、発見が遅れることもめずらしくありません。

 

脳炎

脳内に白血球が入り込んで炎症を起こし、脳が障害される病気です。ウイルス細菌真菌(カビ)寄生虫といった病原体が脳に感染して起こる「感染性脳炎」と、自己免疫によって起こる「自己免疫性(免疫介在性)脳炎」とがあります。

感染性脳炎のうち、原因が判明した急性ウイルス性脳炎の60%が単純ヘルペスウイルスによって引き起こされています(単純ヘルペス脳炎)。ヘルペスは口唇周囲や外陰部に水疱ができるものです。単純ヘルペス脳炎は、現在でも死亡率が10%過半数記憶障害高次脳機能障害などの後遺症のために社会復帰が困難となる重い病気であり、早期に治療を開始する必要があります。
一方、自己免疫性脳炎とは、病原体はいないのに白血球が脳組織を破壊してしまう脳炎です。ウイルス感染やワクチン接種、癌に伴う免疫反応により脳炎が引き起こされることもあります。

主な症状は、頭痛発熱意識障害けいれんですが、異常な言動麻痺が起こることもあります。急性に発病することが多い病気ですが、月や年単位で悪化する場合もあります。

 

 

の場合は最初ウィルス性の髄膜炎と診断されました。

 

上記説明にもありますが、細菌性の方が危険度が高いようで(医師からもそう説明を受けました)、わたしたちは最初は少し楽観視していました。

 

ところが数日、1週間と経過しても容態が良くならず、それどころか日を追うごとに肺炎だの膵炎だの併発し、やがて2週間ほど経った頃には脳炎と言われるようになりました。

 

脳幹の辺りに影があると。

 

脳炎については上述の説明の通り、ヘルペスによるものだとかなり危険度が高いようですが、兄の場合はヘルペスとは言われませんでした。

でも、意識も自発呼吸もない。

 

脳幹に問題があり(「損傷を受けている」と言われました)、脳幹は下記の説明の通り生命維持を司る機関だから意識も呼吸もないのだと、素人ながらに兄の状態と医師の説明を関連付けました。

 

【脳幹】

大脳を支える幹のような形をした部分が脳幹です。成人の脳幹は長さ約7.5cm、太さは親指程度と小さな部分ですが、生命維持に関与する意識呼吸循環を調節するなど、脳幹の果たす役割はきわめて重要です。脳幹に回復不可能な障害が生じると、脳死を引き起こします。

 

 

どうしたらそれが良くなるのかまったくわからず、脳幹に影があると言われた頃には医師から「このまま亡くなるか、一生このままの可能性が高い」と告げられ、それを夜電話で母から聞かされたわたしは号泣しました。

 

 

 

が。

 

前回の記事にも書いた通り、その後一般病棟に移り、転院の準備をする頃になると瞼が開いて小さく頷く様子が見て取れるようになり、その頃のMRIでは脳の影も医師が「ん?」と目を見張る程に薄くなっていたそうで、”意識”だけはある程度戻ってきていることが認められました。

 

 

と言っても、どういう状態なら「意識がある」と言えるのか。

 

会話することができれば、疑いなく「意識がある」とわかりますが、兄は呼吸器をつけていて声を出すことができません。

 

まだ兄がうっすらと瞼を開けただけの頃には、それだけで「意識がある」と呼べるのか、わたしたちにはわかりませんでした。

 

 

でも少しずつ、確実に兄が瞼を開き瞬きしたり目線を合わせられるようになった頃、そして転院先が決まった頃には医師が転院先への申し送り書のようなものに「意識はある」というような記載をしていました。

 

そうか、「意識はある」のか!

 

 

しかし脳というのはまだまだ未知の部分が大きい領域で、意識が戻ったからと言って、この後順当に呼吸もできるようになり、身体も動くようになるのかは、医師にもわからないという話でした。

 

よくドラマとかで、何か月、何年も眠ったように意識のなかった人が、ある日突然目を開けたり、手がぴくりと動いたり、そんなシーンがあります。

 

目が開いたら、手がぴくりと動いたら、ドラマの世界ならそれがもう”元通り”の合図で、あとはハッピーエンドが待っていることが多いですが、現実はそうではないようです。

 

 

兄は瞼が開きましたし、今は手指を動かすこともできるようになりましたが、まだ自分で呼吸することはできませんし、顔と手指以外は動かせません。

 

そして自分で呼吸したり椅子に座れるようにならないと、ベッドの上から動くこともできません。

 

 

兄はこの先どうなるんだろう。

 

一生呼吸器をつけてベッドの上なのか、それともいつかは動けるようになるの?

だとしたらそれはいつ?

 

 

同じように脳に障害を負った人の記事などを探しても、兄と同じような状態の人を見つけることができず、「きっとこうだ」と予想することすらできません。

 

先のことはまったくわからない。

 

 

でも、わからないけど、わたしたちにとっては既に奇跡が起きています。

 

「このまま亡くなる可能性が高い」と言われた兄に意識が戻ったこと。

 

それだけで既に奇跡でした。

 

 

もう少し、もう一息、良くなりますように。

 

また次の奇跡を祈って、日々を過ごしています。

 

 

 

と、一見家族一丸となって兄を支えているような感じで書きましたが、実際は全然そんなことはなく。

 

 

兄が入院してから、毎日病院に行く母は合間に色々な手続きや確認などもあってとても忙しかったというのに、その直前に父が転んで手首骨折・入院していて退院後のリハビリ中であり、続けて腰痛が悪化してまた入院・手術、さらにその退院後は極度の便秘で消化器科にも通って、緑内障白内障のダブルパンチ発覚で来月手術を受けることになり、それらの通院には母の送り迎えが必要で、母は兄の病院と父の通院と自分の通院とでてんやわんや。

 

父は腰痛などを言い訳に通院以外はほとんどどこにも行かずただ寝転がってテレビを眺める毎日で、電子レンジすら使えない人なので朝・昼・晩の食事も母がすべて用意。

 

もともと自己中、わがまま、偏屈な父の性格が、年齢のせいかさらに拍車がかかってきていて、忙し過ぎる母に父が無駄に突っかかり、兄の入院後2か月ほどは最悪の雰囲気でした。

 

 

加えて、実家は自営業で、入院中の兄はその経営にも関わっていたので、仕事の方でも当然大打撃。

 

専業主婦だった兄嫁が事務面だけでもと兄の代わりとして仕事に行ってくれるようになったのですが、そのために兄嫁が兄の面会に行ける頻度が落ちたのは致し方ないこととして、兄嫁に代わって母と一緒に面会に行くことが増えた姪たちを母が送り迎えしたりと一工程増えてしまったり、兄嫁の仕事上の相談や愚痴は全部母に行くことに。

 

 

あらゆる負担が母にのしかかる中、実家の近所に住む下の兄(こっちは元気)が嫁と喧嘩して(年中行事)そのとばっちりもまた母のところへ行き、やっと喧嘩が落ち着いたと思ったら嫁のお父さんが別荘(北海道)で亡くなって、その対応のために3週間ほど北海道に飛ぶことになったので、その間姪の幼稚園送り迎えなどを母が対応。

 

 

・・こんな状態なので、母が倒れるんじゃないかとわたしはそれが常に心配です。

 

 

入院当初の意識不明の状態と比べたら、兄がゆっくりとでも格段に回復傾向となった転院の頃からは、家族全体に広がった悲壮感が少し落ち着いたこともあり、そのせいか父の酷い振る舞いも若干マシになってはきました。

 

とは言え、兄に会いに行くのと、少しでも母を手伝い愚痴を聞いて労うべく、わたしの週末はやはり実家で過ごす日々です。

 

 

 

 

さて、そんなわたしは毎年恒例自分の人間ドックの時期を迎えました。

 

 

いつも人間ドック後から好きなように飲み食いし、体重と体脂肪率が右肩上がりになるのを野放しにして、次の人間ドックが近づくと焦る、ということを繰り返していますが、今年も然り。

 

会社の夏季休暇や自分の誕生日など、暑さを言い訳に動かずに食べる日々を過ごしてしまい、今年は例年以上に酷かった。

 

9月に入って少しだけ涼しくなったタイミングで焼け石に水程度のジョギングや食事制限を仕掛けてみたものの、年齢とともに落ちにくくなる体重・体脂肪率はうんともすんとも言いませんでした。

 

そんなわけでわたしの身体には奇跡は起きず、怠惰な生活をそのまま反映したような過去最高の体重・体脂肪率をマークしましたが、とは言えXデーは乗り越えた。

 

 

喉元過ぎれば熱さを忘れる。

 

人間ドック前の10日間ほど、平日はまともな食事はランチだけで、朝はトマトジュースのみ、夜はオイコスのみだったのです。(それでも体重1kgしか減らなかったんですよ。まぁ週末実家で普通に食べましたが。)

 

 

さぁ、食うぞ!!!

 

 

ということでまずは人間ドック後のご褒美ランチです。

病院のレストランで人間ドック後に提供されるこのランチが、まぁ美味しいこと。

 

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和食と洋食から選べ、和食の場合は事前に予約が必要で、予約が面倒なのでいつも洋食をいただいていたのですが、今年は面倒臭がらずに和食を予約しました。

 

お刺身も煮物も美味しかった~。

 

 

 

食事を終えたら、ずっと行きたかったお菓子屋さんへ行きました。

 

自宅からも職場からも遠いのに営業時間が短くて、なかなか行くタイミングがなかったのです。

 

用賀駅から徒歩数分、Ryouraというお店です。

 

www.ryoura.com

 

前に同僚からいただいたこのお店のクッキーが好みどんぴしゃで、どうしてももう一度食べたくて行ってきました。

 

ケーキやマカロンなどの生菓子も人気なようだったので、両親へのお土産も兼ねていくつか購入しました。

 

ケーキもクッキーもやっぱりものすごく美味しかった!!

 

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好みのフレーバーのクッキーだけを選ぶか迷ったのですが、カラフルな鳥のイラストの箱が可愛くて詰め合わせも1つ購入しました。

 

箱のイラストは3種類あって、どれも可愛くて贈り物にもぴったりです。

缶タイプやもう少し大きな箱もありました。

 

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ケーキは~700円くらい、クッキーは1枚150円前後、箱は1,800円弱、筒形のクッキーは700円弱だったと思います。

 

クッキーはオンラインで購入することもできそうなので、今度利用してみようと思います。